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私的な諸事雑感のページです。 整体に絡めているものもありますが、多分に私の考えが含まれております。 ※ブログに掲載したものを転載しております。 一部加筆修正したものもあります。 整体体操 |
結核、病気、動物、整体の智慧、技術2007/11/21(ブログ掲載日)「おい、此処を曲ろう。 こんなエピソードに何を思うでしょうか? もっともこれだけで何を? と問うのは無理がありますが…。 病気に対する認識は、人、時代によって様々です。 結核が難病の時代、 病人を積極的に隔離した一方、 文学などには度々登場するほど、そこにドラマを感じる向きもありました。 肺を病むということに、 はかなさ、可憐さ、淡い叙情を感じる人も多かったようです。 (これは現代でもあるように思えます) 結核になった富永は、哀れみを誘うことを嫌い、 病気を人目にさらすことを拒みました。 もちろん、それが彼のダンディズムであり、 生きる支えとなっていたとは思いますが、 敢えて人に見せたくはなかったことと思います。 野生の動物は病気になった時、誰の目にも触れないところに隠れるものです。 これは井本先生がいつも仰ることです。 人間だけが、病気を主張します。 野生の動物にとって動けないことは死を意味します。 ほとんどの動物は、仲間の手を借りることも無く、 息をひそめ、体力の回復を待ちます。 それまでに蓄えた体力だけが頼りとなります。 野生の動物にとって病気という認識はないと思いますが、 動けないという自覚は嫌が往にもあるはずです。 それは常に動いているからだと思います。 “動くこと” いつもそれが大事と、教わっております。 しかしながら、無理やり一万歩歩いても体を壊すことになりかねませんので、 やろうと思ったこと、 やりたいこと、 そういうことに対して、体が反応していくことが大切なことです。 整体では、自分の体をしっかり使うことを良しとします。 しかし、そればかり主張していては、 動けなくなった人を置き去りにしてしまいます。 野生の動物にならう事も大切ですが、 自分の力では乗り越えられないものもあります。 そんな時に整体の智慧、技術が必要になってくると思っております。 ※富永太郎 夭折した画家、詩人 ※小林秀雄 批評家、評論家、思想家(人によって見解が違う) |
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